今月の講話(毎月1日 月次祭後の宮司講話です)

令和御大典記念 龍田大社神楽殿大修復
神輿庫・祭器庫新築工事竣工奉祝式典 宮司挨拶 
令和二年十月八日

 はじめに 聖寿の万歳を 寿ぎ奉り 皇室の弥栄 国家の隆昌 地球 大宇宙の安泰を お祈り申し上げます。令和二年十月八日 先ず以て、永らく 行宮にご奉安申し上げておりました 神楽殿の神さま 即ち多賀二柱の大神さま 出雲二柱の大神さまのご神体を 昨夜 ヒノキの芳しい神楽殿の御神殿に ご遷座申し上げました事を ご報告致します。
 扨て 本日ここに 令和御大典記念 龍田大社神楽殿大修復・ 神輿庫・祭器庫新築工事竣工奉祝祭並びに 奉祝式典を斎行致しました処 奈良県神社庁 樋口庁長様 地元三郷町 森町長様始め ご来賓各位をお迎え申し上げ 多数の皆様方ご参列の元 盛大厳粛裡に挙行できました事 誠にありがたく 心から 厚く御礼申し上げます。
 今日の おめでたき日を迎えさせて頂き 万感胸に迫る想いであります。
 そもそも この神楽殿は鎌倉時代に豪華な唐破風作りの割拝殿として建てられました。 明治に至って 神仏分離令により 唐破風部分を取り除いて 現在の場所に移築存続されましたが 戦後を経て ぼろぼろの状態であったものを 昭和四十三年 内部を改装し  多賀の大神さま・出雲の大神さまをお迎えし 約四十年 結婚式場として活用して参りました。平成十七年祈祷参集殿建立と共に 老朽化した神楽殿も修復の予定でありましたが 資金が底をつき 止む無く断念。そうこうしているうちに 軒先が崩れ落ち 修繕するには もう限界というところに至りましたのが 平成二十八年でした。資金面のみを考慮すると 正直 一掃の事 取り壊すかとの思いも頭をよぎりました。そんな時に限って 「昔ここで 結婚式を挙げさせてもらいました。まだ 神楽殿あったんですね」と ご年配のご夫婦が何組も 嬉しそうにお参りにこられました。悩みに悩みました。その時 下村役員が「壊すのは たやすいこと。しかし 先祖が非常な想いをもって大切に 守り抜いてきたものを 自分たちの代で本当に壊して よろしいか?」と 諭してくださいました。
 そこで 下村役員を奉賛会会長に御推挙申し上げ 愈々事業発動となりました。
 資金面では 工事費のみで七〇〇〇万円という目標額の半分を地元で あとの半分を 崇敬者でとの ご提案を頂き 地元の氏子総代・自治会長のご尽力と 氏子の皆様方のお力添えにより 約一年で 地元の目標額達成を見るに至りました。また 全国各地からも多数のご支援を頂き 昨年四月の工事着手時には 目標額の八割に至りました。
 工事面では当社大鳥居を建立頂いた実績により 福呂工務店様に工事をお願い致し 宮大工大都流 西嶋工務店様とのご縁をも お結び頂き 清き水の流れる如く順調に工事は取り進められました。
 氏子・崇敬者 およそ 三〇〇〇人の方々が 龍田の大神さまのためにと 深いご理解と 温かいお心寄せ お力添えを頂き 誠に 文字通りのご浄財を 工事の資金としてお預かりさせて頂きました。
 そして 皆様方のその 篤き想いを しかと受け止められ 現場では 福呂工務店様 西嶋工務店様始め携わって頂きました 全ての職人さん方 誰しもが 気持ちよく キラキラしたまなこで 懸命に携わっておられたということです。正に一所懸命に一生懸命でありました。
 そして 本日 永らくお預け致して居りました 神楽殿・新たにお建て頂きました 神輿庫・祭器庫。確かに 拝領仕りました。
 平成から令和に御代替わりのこんにち 更には 龍田大社ご鎮座二一一〇年を迎えます今年 先々代宮司(祖父)・先代宮司(父)の悲願でありました境内諸建物の全ての修復は 六〇年の歳月をかけて本日 完結致しました。私事で誠に恐縮ながら親子三代にわたって この一連の事業に仕えさせて頂き 誠にありがたく また この間 お力添えを頂きました 全ての氏子崇敬者の皆様方 現場で工事に携わって頂きました 全ての職人様方に この場をお借りいたしまして 幾重にも 感謝の真を お捧げ申し上げる次第であります。
 魂こもるご浄財で 魂こもる建物を修復・建立頂きましたこの上は  先刻 禰宜が斎主の祝詞にございました様に 大昔から伝わって参りました 日本の国柄であります 敬神崇祖に 今一度想いを致し広く周知を図りながら 常に高みを目指しつつ 龍田大社にお参りして 気持ちよかったと 感じて頂ける神社の護持に 一所懸命に一生懸命 仕えさせて頂きますゆえ 今後ともに 皆様方には 何卒 ご叱正 ご教導賜ります様 お願い申し上げますと共に  本事業に関わって頂きました 全ての皆様方には 龍田の大神さまのご加護の元 愈々お健やかに 心豊かに お栄え頂きます様 お祈り申し上げ 意を尽くせぬご挨拶とは存じますが 御礼の言葉と致します。

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