今月の講話(毎月1日 月次祭後の宮司講話です)

令和3年5月の講和 『視座を養い 祈りを捧げる』

 境内は 新緑萌え出づる好季となりました。目に映る新緑も 表面的に見ますと只々美しいだけですが深く感じ入る時 樹々たちは 雨が少なく極寒の土中で水を得るため 精一杯根っこを張り巡らし 来るべき春に備えて水を蓄えていたからこそなのです。 このように目に映る事のみならず そこから視点を変えて考え 感じることを 視座を養うと申します。  
 当社のご創建2100年前当時と現況は酷似しており 医学の乏しい当時でも 二年足らずで疫病が収束したのは 当時の先人たちが 深い祈りを捧げたからであると感じます。コロナ流行から1年余 昨年の同時期に比べ 状況が悪化している有様。なぜ 悪化しているのかを考えますと 我が国の神話を知らないから 深く祈る意味すらわからない方々が 増えている感じを受けます。 では なぜ祈りを捧げられない環境に日本が取り巻かれているのか。それは戦後の日本の教育が大きな原因となっております。
 日本を骨抜きにするため 日本人に日本の誇りと日本の神話を教えてはならないというのが 戦後の教育であります。そして マス・ソーシャルメディアをあたかも神話の如くとらえての 日常生活が営まれております。ここに2100年前との大きな違いがあります。森羅万象は全て共生しており 先人はその中に神々を感じ得 生活の営みの中から生まれてきたものが我が国の神話であります。一方メディアは自分都合の情報発信であり これを信奉する人々は否応なしに自分都合の日常を営むことになります。皆様方にはメディアはあくまで情報として受け取り 先ずは 日本の神話を学び日常に活かしながら 視座を養い 日々コロナ収束を祈りつつ 今月も どうかお元気にお過ごしくださいます様 お祈り申し上げます。

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